期待通り、不安的中、期待外れ(小沢健二、2012)(1/3)

※小沢健二の作品、『我ら、時』のリリースとそれに合わせて「東京の街が奏でる」と題した12日間のライブコンサート、そして、パルコミュージアムでの展示会(旅の写真と、音楽)・ポップアップショップが開かれた。

当ブログをご存知の方は周知の事実ではあるが、僕は「小沢健二」とその一連の作品の強い影響下に思春期を過ごし、またはその考えをこじらせ、そしていろいろなものを見る「入口」としての彼の影響を隠すことはできない。

だけど、そうやって彼からいろいろと影響を受けたからこそ、今の彼が「あの頃と同じ」空気に賞賛されていること、懐古的な空気で迎えられていることには違和感を覚える。

今回の3作品。
特に「期待外れ」についてはまだ継続中である、そのコンサートについてになる。

だから、このポストの続き、および一連のポストについては「小沢健二に会えるだけで幸せ/声を聴くだけで満足」という向きの方にはUZEEEとしか言いようのない内容になることが想定される。
楽しみにしている人と、満足している人はこのあたりで「あれまあ」とでもいって、そっとページを閉じるかサッカーの結果を見に行ってほしい。
これは僕の考えに過ぎない。「ああ、惜しい。」という。



「不安、的中」

パルコミュージアムで実施していた、『我ら、時』展覧会。
「秘密のトンネルのような暗がりで、写真を見て、音を聴いていただく展覧会です。トンネルは、「東京の街が奏でる」と「ひふみよ」という二つのコンサートに、そしてもっともっと長い時につながっています。」

ということで、なんのこっちゃい?と思い入場料1,000円を支払って入ったわけだが、入って、一枚目の写真までのうすぼんやりとした暗がり(向こうから雑多な音が漏れ聞こえている)ではやくもイヤーな予感に襲われ、見事予感的中。

「一枚目のナレーションは必ずお聞きください」というわけでそのナレーションで小沢本人が本展覧会のコンセプトについて朗読している。しかし、展示が「一枚の写真でライト点滅」(スライドショーにくらいしようよ)「向こうからの音も漏れ聞こえてくる」(ばれてるよ)そして、肝心の写真が「・・・素人さんに撮らせたんですね『また』」という出来。

旅行の写真、と聞いたときに嫌な予感はしていた、そう、この写真、おそらく9.8割くらい的中していると確信しているが、以前の自家中毒映画(というにはあまりにも陳腐なもの)で世の中の好事家を失笑させたであろう、エリザベス女史が撮ってるんだろうなあ。
ああ、『我ら、時』じゃなくて『芸術家になれなかった女性のリベンジ、時』だったのかと。

たとえば、この一枚目の写真。
「東京の雑踏の中で音楽を録音している小沢氏」の写真だそうだが、「そういわれてもなお、そうわからない」写真である。
まず小沢健二が半分しか映ってない。(小沢健二は通行人と思しきピンボケの『一人の』女性でさえぎられている)せめて雑踏なんだから、引きで雑踏を映すとか、通行人をたくさん移す構図でもない。ついでにいうと「東京の雑踏」といわれたから東京であって「NYの」と言われればそう思うし、「パリの」でもいい。せめて「世界のどこかの」とナレーションに行ってほしかった。あー、いってみりゃただの「失敗ポートレート」である。(あれが狙った意図なら、ナレーションから東京っていうのやめて「世界中を旅したどこか」くらいにしてほしいね)

そのあとも数々の旅行写真が写されるが、贔屓目に見ても友達の旅行スナップ。写真家が何らかの意図をもって撮った写真ではない。

ねえ、小沢健二さん。あなたが世界を旅している間に、僕らも年を取ったし、トウキョウには数々の写真展や、エキシビジョンが開かれて僕も少しは成長して目が肥えたと思うんだ。

これで1,000円とるとか、あなたの名前があったから「つい」払ってしまったけれど正直に言おう。

「そのお金、全額東日本大震災に寄付してくれ」頼むから。そうでないと救われない。

さて、コンセプトはわかった。写真は、、、全額寄付なら納得するよ。で、この展示の仕方なんだが、、、うーんもっと広いとこで、もっと「暗がりの秘密のトンネル」作れるところでなんでやらなかったんだろう?

この狭い空間で、指向性のスピーカーを使っても届く隣の音。そして暗がりと言いながらPOP-UPショップの明かりが入ってきていて台無しの空間。なんで、この空間でこのコンセプトが実現できると思ったのだろう?

いや、場所ありきで何とかした結果がこれなのか?だとしたら残念でしかない。

そして、ちょいちょい入る小沢健二のライブステージの写真、音。初めのナレーションとどうも齟齬があるように思えるんだが・・・。旅の途中で見て感じた写真とそのフィールドレコーディング音源の組み合わせ。それだけで十分じゃあないか。そんなおまけは求められてないと思うんだ。

ねえ、小沢健二さん。もう一度言うけど、あなたが世界を旅している間に、僕らも年を取ったし、トウキョウには数々の写真展や、エキシビジョンが開かれて僕も少しは成長して目が肥えたと思うんだ。

これで1,000円とるとか、あなたの名前があったから「つい」払ってしまったけれど正直に言おう。

「さっき写真が素人な分、全額東日本大震災に寄付」と言ってほしいと頼んだうえで、やっぱりいうよ。
「1,000円、返してくれないかな?」と。

もう一度言おう。
小沢健二が考えたコンセプトは決して悪くない。しかしそれを実現すべく素材(写真)と、編集(キュレーション)が欠落したそれは、すでに「展覧会」ではない。
P○RCOさん、おれPA○COさんのこと結構好きだけど、たぶんほかのミュージアムやギャラリーだったら写真見てお断り入れるよ?入れないとそのギャラリーのセンス疑うもん。

結論、この展示会さあ、、、今の東京のレベル、なめてるよね??
あれ、まあ。

以上。

そして、この「不安」はそのままコンサートへの不安へと転化されていくわけだが、、、
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by nariyukkiy | 2012-04-01 23:43 | sunday people | Trackback | Comments(5)
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Commented by 田中 at 2013-05-21 22:49 x
同意です。 もう去年の話なんですけど、今更コメントします。笑

小沢健二ブランドだけでした。

だから、小沢健二ファン以外には全く話題にならずに過ぎ去りました。

近年の小沢健二に対する、これに似た感想ならいくらでも書けるけど
きりがないので書きません。
Commented by 1996 at 2013-08-31 23:26 x
どうやらアートワーク・デザイン・アイディアの持ち込みは主に奥さまのようですね。(後から小沢さんの口からぽろぽろ出てきた話から推測すると)
なるほど、鹿とか手裏剣とか伏見稲荷の狐のお面とか、海外からの観光客が反応しそうなモチーフが踊るわけです。

彼女はどのくらい日本や日本人について理解をしているんでしょう?
小沢さんが日本を離れる前に築いたものに、彼女のエッセンス(+その他)が新たに加わり、彼の今の表現・作品・商品として出されるわけですが・・・・・私にはかなり微妙です。

彼女の日本や日本人に対する認識が、もし仮に”海外からの観光客レベル”、あるいはそれに毛が生えた程度だとして。
その程度の人が、かつて小沢さんが築いたもの、ファンとの間に築いたもの、(有形無形)、に足を踏み入れたのであれば・・・・・とてもザンネンです。
でもそれを許した、受け入れたのが小沢さんだということ。それこそが、最大の残念ポイントかも。
Commented by 1996 at 2013-08-31 23:37 x
ちなみに・・・・・
昨年のコンサートを振り返る文章(HP)に、奥さまとNYのお友達が日本のコンビニを引き合いに出して『あれは日本の縮図だ』とおっしゃったとか、そんなエピソードがチラッと出てきます(第九夜)。
コンビニにたとえられる日本と日本人って?日本と日本人の何を分かったの?その程度の認識なんでしょうか・・・。

小沢さんに関してはいい思い出だけを心の隅にしまって、歌の歌詞じゃないけど静かに離れていこうと思います。
ブログ主さんの温かくも厳しい目で書かれた文章、素晴らしく、そして貴重だと思います。
どうもありがとう。
Commented by 1996 at 2013-09-11 21:56 x
彼女の活動に、日本人、ファンに対する”こころ” (理解、シンパシー、リスペクト、マナー)が欠如しているなら、単なる小沢健二ブランドを利用した”集金活動”だと言われても仕方ないと思う。
(ではビジネスとして十分なクオリティーを提供しているのか?、はまた別の問題としてあるわけですが・・・)

理解はない、リスペクトない、でも日本人からMoney(円)はいただきます&彼女にダメ出しする、NOを言うべき日本人(小沢さん)の不在・・・・・なんだかこれまでの”日米関係の縮図”をお二人に見た気がします。 これで最後です。失礼します(ペコリ)。
Commented by nariyukkiy at 2013-09-16 17:29
>1996さん
コメントありがとうございます。正直、エリザベス女史については「少なくとも芸術的な才能がない(そしてまるで成長していない)」ということを、あの映画と写真を通じて感じている以上のことはわからないので、いかんともコメントしづらいですね。
まあ、小沢本人が「それでいい」としているのであれば、それが妥協なのか年や旅を経て価値観が変わったのか贔屓目なのんか、いづれにしろ残念だなあ(ああ、惜しい)としか思えないですね。うん、残念。彼自身の「うた」のクオリティはそこまで下がってないと思いますが、往時の「神様がいる瞬間」の奇跡を歌うことはもうできないんだな、ということ。そして。その瞬間に立ち会えたことに感謝して、僕はもっとほかの素晴らしい音楽を、アートに出会いたいと思います。


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