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期待通り、不安的中、期待外れ(小沢健二、2012)(2/3)

※小沢健二の作品、『我ら、時』のリリースとそれに合わせて「東京の街が奏でる」と題した12日間のライブコンサート、そして、パルコミュージアムでの展示会(旅の写真と、音楽)・ポップアップショップが開かれた。

当ブログをご存知の方は周知の事実ではあるが、僕は「小沢健二」とその一連の作品の強い影響下に思春期を過ごし、またはその考えをこじらせ、そしていろいろなものを見る「入口」としての彼の影響を隠すことはできない。

このポストの続き、および一連のポストについては「小沢健二に会えるだけで幸せ/声を聴くだけで満足」という向きの方にはUZEEEとしか言いようのない内容になることが想定される。

とりあえず、このポストはまだ僕は喜んでいる。彼の帰還を。

不安的中編はコチラ



さて、この展覧会に先んじて、Ustream上で公開した通り、作品集「我ら、時」も発売になった。

アナウンスの通り、オリーブに連載していたDOWHATCHALIKEからの単行本(超待望)、うさぎ!の続編(静観)、写真になった歌詞カード(写真どうでもいい)、ボタン(ふーん)、巻物(ふーん)、「ひふみよ」のCD(完全収録)

はてさて、豪華な装丁や本、おまけは横において、ポストカード仕立ての歌詞カードをめくり(写真よりも歌詞が重要)、さっそくCDをプレイする。

思えば、LIFE や球体、eclectic を手に入れた時もそうやって胸を高まらせながら音楽を聴く準備をしていた。(「毎日の環境学」のときはインストだったし、なによりあの駄作というか何がしたかったかわからない自家中毒を見せられた後だったので・・・音としては悪くないんだけどね)

その時から、少なくとも12年は経っている。

だいぶ僕らを取り巻く環境も、文化も変わったし自分のステータスも変わった。
携帯電話でメールをすればすぐに返事が来る。Twitter やSNSで呟けばすぐに反応がある。あの頃よりも緩やかなのか、曖昧になのか、僕らはなんとなく繋がっている世界で生きている。
それを是とするか、非とするか・・・。ちょっと前に「西洋主体のグローバリズム」に反対する内容の映画のような何かを主張した人が、今やTwitterで宣伝してね~とか言っちゃう世の中である。

小沢健二が世界を旅し、異文化に接したことでのカルチャーショックがそのままストレートに顕れていた映画(とその「酷さ」に僕がカルチャーショックを受けたw)を経て、ひふみよツアーを敢行したのが2010年。

僕は、僕らが"待っていた"形に近い彼のコンサートを13年ぶりに経験することになった。
その記憶はまさしく忘れられない演出、曲目だったわけだがそれがフラッシュバックする麻薬のようなCD。

ようやくCD が回りだす。
演奏が始まる瞬間の会場の空気がよみがえり、闇の中での音楽と一晩の経験についての朗読。
彼が仕掛けた演出の中で聞いたとき、ゾクッとしたことを思い出す。

確かに、僕はあの経験を忘れることはできない。そしてもっと昔に小沢健二を聴いていたこと、キャンプの焚き火と闇の中で聴いた音や今まで聴いていた音楽が一瞬頭の中を過り、再開された流星ビバップが、さっきよりもソリッドに迫ってくるのを感じる。
もう何度も聴いている楽曲。久しぶりに生演奏で、LIFEのバンドが中心のメンツで演奏される楽曲たち。

確かに、時間は経っている。あの頃より、確実に僕は音楽によって「のみ」救われる機会は少なくなっている。

それと同じく、小沢健二もあの頃よりも、トウキョウについて歌っていた時よりもNYやラテンアメリカを旅した、アフリカを旅した空気がまとった演奏になっていることが、おいおいわかってくるわけだが、それでも、彼のコンサートは、その時間や意識の差を埋めることが、少しはできた。この作品集もまた、あの頃の思いを思い出すとともに、その時の経験が「自分の中で消えていない」ことを確認させられた。

曲でいうと二曲目に演奏された、僕らが旅をする理由は旅立つ恋人を思いながら手紙を、彼女自身を"待つ"ことが主題を奏でている。
曲の途中で入る大きな歓声、ああ、ここで彼が「帰ってきた」のを会場が確信したんだな、ということ。
「旅」をしてきた彼の帰還。
ようやく会場は少しだけ興奮状態から抜け出し、コンサートを楽しむことができるようになっている。
その空気が録音を通じて伝わってくる。
たとえば「天使たちのシーン」の歌詞の一部が「遠くの街のスティーリーダン」から「この街のいちょう並木」にかわっていたり、ラブリーの歌詞が「完璧な絵になった」このライブを祝福するものとなり「我ら、時をゆく」と愛し愛されたライブの時間を、小沢自身が、会場全体が祝福するような『非日常としてのライブ』の時間として作り上げていくことに集中していて、BGMにのって途中で入るモノローグも興奮しすぎる会場への緩衝材のように、そして次の曲への導入としてうまく機能していることが、CDを通すことでよりよく伝わってくる。

もちろん、不満はある。以前はライブだと20分はやっていた「天使たちのシーン」は10分弱だし、ところどころ音程は不安定(、、、ま、今に限ったことじゃないか)。歌詞カードちょっと見にくい、とか。でも、おおむねこの作品集の中で、「ひふみよ」というライブを追体験できることはいい経験である。

特に「闇」についての朗読は今の日本にとって、さらに響くものになっていることは確かだ。
ちょうど1年前。東京の街を歩いて帰ったこと、もしかしたらどこかのビルや駅で一晩過ごしたことを思い出した人も多かっただろうし、実際のライブで聞いた印象とはまた違った印象で「響く」モノローグになっていたことは間違いない。

新曲である「いちごが染める」「シッカショ節」「時間軸をまげて」の3曲。

シッカショ節はすでに公開されていたけれど、残りの2曲のうち特に「時間軸・・・」の歌詞は旅をしていた小沢健二の「日常」と、(おもに)日本で、小沢健二の「日本、東京、での日常生活」を賛美した歌を聞いて時を重ね、今「ありがとうという言葉で/失われしものに誓うよ/磯に波打つ海よりも濃く/われの心はともにあると」とうたわれると、この「帰ってきた」小沢健二という感覚がよくわかる。

そう、このCDは彼が言うとおり、とても「アガル」ものになっていたわけです。

そしてだからこそストリングスのために新編曲にして、武満メモリアルというホールでしかできないようなコンサートを、やるんだろうなという「東京の街が奏でる」のコンサートも楽しくなるんじゃないかと思っていたわけですが、前述の「不安的中」編のあとにライブに行くと・・・(ライブ編は12夜が終了後、更新予定です)
嵐で暇だったので、更新しましたw
by nariyukkiy | 2012-04-02 01:13 | sunday people


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