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期待通り、不安的中、期待外れ(小沢健二、2012)(3/3)

※小沢健二の作品、『我ら、時』のリリースとそれに合わせて「東京の街が奏でる」と題した12日間のライブコンサート、そして、パルコミュージアムでの展示会(旅の写真と、音楽)・ポップアップショップが開かれた。

当ブログをご存知の方は周知の事実ではあるが、僕は「小沢健二」とその一連の作品の強い影響下に思春期を過ごし、またはその考えをこじらせ、そしていろいろなものを見る「入口」としての彼の影響を隠すことはできない。

今回の3作品。
特に今回の「期待外れ」についてはまだ継続中である、そのコンサートについてになる。
これからライブ、コンサートに行く人はここまで見てしまった不幸を呪いつつ、私は楽しめる!と思って今すぐ消した方がいいと思う。(僕ももう一回見に行けるチャンスがあったらたぶんもうちょっとポジティブに、残念がる)

だから、このポストの続き、および一連のポストについては「小沢健二に会えるだけで幸せ/声を聴くだけで満足」という向きの方にはUZEEEとしか言いようのない内容になることが想定される。

不安的中編→「展覧会、ひどい」

期待通り編→「ひふみよCDはアガる」






期待通りの「我ら、時」作品集、不安的中の「我ら、時」展覧会ときて、正直、それなりに期待も大きかったからこそ、「あえて期待外れ」という。

そんなオチが先に来ているような、割と真顔で「期待外れ」だったのが「東京の街を奏でる」(東京オペラシティ)だった。

ちなみに、僕が参加したのは4月1日、第6夜。

複数回見に行く(いった)人を絶望のどん底に一度は放り出したモノローグが追加された夜である。(その後、本人からフォロー有

もちろん、期待はそれなりに大きかった。そりゃひふみよツアーは正直、ブランクもあったし、その前には謎の映画もあった。

Webでは「ライフの曲を、ライフのころのメンバーで」って青木さんいないじゃん。そりゃ期待値も低い。
その分、高揚した気持だったわけだし、今回はひふみよの記憶もCDですっかり取り戻した後に体験するのだから、当然敷居はそこからでしょう?ちょっと高めだけど、前はやらなかった曲とかやるだろうし、同じ趣向ということはあるまい。

僕の行く前の期待値はそんな感じである。

確か事前のアナウンスでは「ストリングスを入れた新たな新編曲でやる、おなじみの曲、そしてやらなかった曲、新曲」で、東京の中に現れる、壁画のような―すなわち「東京的な」コンサートにすると解釈していた。
おそらく朗読のようなものも入るだろうけど、渋谷公会堂でも、厚生年金会館でもなく、「武満メモリアル」という場所を壁画に見立てたんだから、別に静かに座って全部聞くコンサートではないにしろ、Loverのような(※)四重奏がメインの、少し小さな規模にふさわしい、ちょっとしっとりとした大人なコンサートだろうかと。

僕は、そう思っていた。
※僕は行くことができなかったのだが、Loverに参加した奥たん曰く「手拍子遠慮して、ベースを聞いてください」といわれたとかなんとか。(ドアノックダンスも確か座ってやったんだったよな。)はよDVDだせよ。(※この公演のVHSはお蔵入りしました。)


【コンサートのリズム】
しかし、自分でも悲しいくらいに意識したのは、「こんなにも長い時間やるコンサートで、こんなにも集中できないのは初めてだ」ということ。

簡単に言うと僕はこのコンサートに全く「のれ」なかったのだ。

たとえばクラブで朝まで踊り続けるとき、確かに中休みでフロアから外に出て酒を飲む。友達と、時にはその場で知り合った人とさっきまでのDJについて語らい、またフロアに戻る。
フロアにいる時間、結構集中してDJのプレイを楽しむ。そう、そこでナンパとかって考えられないくらいに。

たとえば、DCPRGのライブ。3時間近くあるし、不協和音の時間は我慢大会?と間違えるくらいだけど、そのあとの祝祭空間が待っていると思うと、あの解放 があることをそれこそ「信じて」リズムを探している集中力はあそこにDCPRGの音しかないからだ。メンバー紹介はおろか、MCが入るもの大体2時間半 (ライブ本編後)のみなのはちゃんとそれなりの仕掛けがあるから。
(ポリリズムのグルーヴで好き勝手踊るからの魅力も十二分に伝えたいけど話がそれるから省く)

それにオールスタンディングのライブに行く時も、ゆっくり見たいときは後ろに行くし、音楽を体で感じたいときは前でモッシュだってする。

何が言いたいかっていうと、音楽を奏でている奏者と、観客とは一体のようで、奏でる方は奏でる方の、観客も観客で「自分のリズム」を楽しみにライブに行くのだと思う。
そして、そのいろんな場所で見ている、いろんなリズムが誰にも指示されずにある一点でカチッと合う。
その瞬間がコンサートで一番、美しい時間だと僕は思う。
(と、昔小沢健二本人もいっていた)

今回は完全に最初から最後まで「小沢健二のリズム」になることが求められていた。
いや、「ひふみよ」もそうだったのだろう。
だけど朗読と楽曲のバランスはよく考えられていたし、「小沢健二のリズム」が自然な感じで受け入れられるよう構成されていたというべきか。2時間半以上の時間を使うわけだし、抑揚が、朗読の間も立っていても大丈夫なような配慮が、きちんとコンサートから感じられたし、コンサートの流れが一貫していたからこそ、スタンディングのまま、ずっと聞けたと思う。

肝心なのはバランスだったり、コンサートのリズムを観客と演奏者とが作っていくこと。

東京の街が奏でる。始まってすぐの『ゲストミュージシャンによるモノローグ』
この前口上で丁寧にも「この合図が出たら立って」「これ出たら座って」という指示が出る。
会場に一体感を持たせるのであれば、有確かに効な手段だけど、クラシックのホールでやるのにふさわしい方法じゃあないよなあ、と思ったのが最初の違和感。

それでもライブは始まる。
・・・なんなのだろう、このドタバタして落ち着かないリズムは。
ギターは力強くかき鳴らされる。それはいい。そういう曲なのだから。だから会場は立って盛り上がる。いや、盛り上がっていいよ、と許可を出される。ドアノックダーーンス。2曲くらいで、モノローグがはさまれる。ストリングスは退場。「お座り」の合図が出されて座らされ、拝聴。じゃあ次やります、ハイこれ盛り上がって、と立て、の合図。
そのたびにガタガタ、と会場は音を立てて形態を変える。

電気湯沸かし器みたいな人はいい。
とりあえず明るい曲やったら盛り上がって手拍子して、歌えって言われたら歌って、聞けって言われたら聞いて。
明るい曲と明るい曲の間にしんみりして考えさせられて、また盛り上がれるんだから。
会場を見ていたら、お行儀よく鹿が座れと言ったら静かに座って(ガタガタガタ)、話を聞き、たってと言われたら立ち、騒げと言われたら騒げる幸福な人がたくさんいた。
うらやましいとしか言いようがないけれど、彼らは純粋に小沢健二の仕掛けに乗っている自分ごと、楽しめていた。

だけど、残念ながら、僕はもう少しじっくりと音楽を聴くタイプなのだ。そんなに忙しく器用にはできていないのだ。
それこそ毎日の仕事のリズムから離れて、大事な時間を、楽曲を座りたいときに座って、立ちたいときに立って楽しみたいんだ。

大好きな曲の大好きなフレーズを、自分が口ずさみたいときに口ずさみたい。

僕はそうこっそりと思う。オペラシティの、隅っこのほうでひっそりと。
スクリーンでは鹿が僕をせかす。「早くたって歌え」と。
「そこはお前じゃない、女性が歌うんだ」と。


※もちろん、始終座って聞いている人たちもいた。だけど、幸運なことに2階席正面最前列、といった座っていてもコンサートを何の支障もなく楽しめる位置にいたんだよな、正直うらやましかった。

【場所のオーラ、記憶、空気というものについて】

もう終わりの方。座って。と鹿が出てきてもみんな立ったまま拍手がやまない。
そりゃそうだ。僕は、誰かに言われたから立って拍手をしているのではない。
この音楽が素晴らしかったから立っているんだし、立って、何かを伝えたいから立っているんだ。
(注:座って聞くことを貶しているわけではないですよ、あくまでスタンディングオベーションのこと)

だけど、ふと思う、もしこのコンサートが「踊りたくても、座って聞いてね」とあったら、このスタンディングオベーション、もっとすごかったんじゃあないだろうか。
それくらい、ハイライトの「ある光」や「back to back」をライブで聞く、というのは本当にいい体験だったと思う。

菊地成孔のペペトルメントアスカラールのコンサートを例に挙げてみる。
この南方指向のジャズオルケスタのコンサートを九段会館で聞いたとき、「なぜこの楽曲を立って踊りながら聞けないのか」という「甘い砂糖漬けの拷問」が、逆に魅力的に作用していた。
それは、「九段会館」という場所だから、立ってコンサートは聴けない。
オーチャードでもそう。オーチャードでやるダブセクステット。こんなに踊りたいバンドなのに、それは会場に合わせてシッティングを(強要する出なく)「大人の遊び」として客席が受け入れている。
ブルーノート東京でDCPRGやる、とかもう狂気の沙汰としか思えないけど、それもまた一つの演出。
なんというか、もう東京らしいというかなんというか、子憎たらしくてむかつく演出。

なのに、小沢健二の「東京の街を奏でる」で、いつも通り立ってドアノックダンス。
みんなで手拍子にスタンディング。コールアンドレスポンス。歌詞カード見ないでもみんな歌えるよねさあシンガロング。(ここまで、趣向ひふみよと一緒)
おまけに普段じゃないであろう立ったり座ったりでいすがガタガタ。
(これ、ひふみよでは感じなかったストレス)
これならオペラシティじゃなくたっていい。
むしろ、オペラシティでなんてやらない方がいい。


東京の街が奏でる。
そう、東京の街には、東京のアウラがある。建物には建物の持つそれがある。建物やホールがもっているマナーや暗黙のルールに准じるという「遊び」がある。
そのことを無視してはこの街は奏でられないということを、オザケンはだれよりも知っているはずじゃないの?と僕は再び思いをめぐらす。
「ライフ」の曲を全部やる、ストリングスで力強くやる会場だったらコンサートホールとは言わないまでも文化会館系の建物で十分、というかその方が際立つと考えなかったのだろうか?

あ、東京っぽい、というのはこのくそ忙しいリズムというかせわしない感じなのか。


【コンセプトと実現する力、場所の力を借りるということ】
作品集、「我ら、時」について、小沢健二は「CD入ってて、本も入っていて、全部ひとつでなんで?って思う人もいるでしょうけど、全部そろって僕なんで」と言っていた。
だから、このコンサートもただ曲をやるのではなく途中にモノローグをはさんだ。

いや、それはいい。うん。いい。
でも、モノローグをいれるからこそ、会場の力をもっと存分に使えばよかったのに。

そうか、結局僕が今回一番残念だったのは、そのことに尽きるのだ。

この会場だったら、最後まで座って演奏を聴くことを求め、途中でモノローグを挟むこともできた。
もっと音に集中させ、それ自体を楽しむ演出だってできた。

僕が期待していたのは、そして期待が外れたのは結局この一点が占めるウエィトが大きい。

なぜ、「騒げる」ように立ったり座ったりを許容したのか。
その方が小沢健二の歌っぽいから?「ライフを全曲演奏する」からにはそうしたかった?
求めたのは観客も、だろう。ライフの歌を声高らかに一緒に歌いたい!本当は赤い鼻つけたいくらいだよ!
そんな声があったのかもしれない。

じゃあ、どうしてこの会場を選んだ?

楽曲レベルでは満足した瞬間もあった。
たとえば"back to back" たとえば"ある光"
「あらし」。春をして君を想う。
おやすみなさい、仔猫ちゃん!なんて久々に聞いて思いを新たにしたし、back to backはやっぱりいい曲だった。
「強い気持ち強い愛」と「愛し愛されて」は130グルーヴ(と、小沢健二が言っていた)のノリノリの曲としてだいぶタイトな演奏が聴けたし、、、
天使たちのシーンに関しては、最低でも10分はやろうよ、今回、およびひふみよのVer.は好みじゃないよ、、、とか。(あ、これ不満だわ)

特に「ある光」。
前述の拍手がやまなかったのはこの時だ。
この会場の空気が、何よりも一体となっていた、「美しい時間」はこの時だったと思う。

演出なんていらない、音楽が会場をねじ伏せる瞬間。

前のひふみよツアーでは演出の力や、帰還というドラマに支えられていたものが、解放されたのはこの曲を演奏していた時に感じた歌詞やメロディー、朗読。
今にして思うと、この歌にも今のコンサートへつながる要素はすべて入っている。
でも、それをちゃんと音楽に落とし込めるから僕は彼の音楽が手放せないんじゃないか。


【東京の街を奏でて】

それにもかかわらず、「集中できなかった」のだから、構成というか、モノローグへの移り方と、自分の中でのライブのリズムがあまりにもあってなかったってことなんだろうな・・・。
いや、会場の空気と、ライフの楽曲じゃねーだろ、的な勝手な思い込みもあったのかもしれないし。

だから、僕がこのライブ、コンサートに期待外れだったのは、単純に僕の問題である。
展覧会でへたくそなキュレーションを見て、不安に思ったまま乗り込んだら、やっぱりこっちもこっちでへたくそな構成のコンサート。
ちょっと押し付け気味の演出が僕の肌に合わなかっただけなんだろう。
(モノローグのやったらグローバルな人脈もあまり好きじゃない要素の一部だけど、NY住んでたらああなるんだろうな。それはそれで純粋にうらやましい)
そうそう、あの映画から続く「反グローバル主義」的言動と、実際の行動というか言説の微妙な剥離もちょこっと気になるんだよなあ。

ただ、その「残念」なポイントって、コンサートの中で結構重要な位置だろ?とも思うのは負け惜しみだと思ってくれていい。

別に小沢健二のコンサートだから楽しめないといけないなんでことはない。
ただ、本人が言うほど「完璧な絵」には似てねえよ、ということ。

だからさ、たぶん次があったらそのへん、もうちょっとちゃんと考えてくれよ、オザケン。

あと、やっぱり写真と映像は嫁じゃなくてタケイ・グッドマンにお願いしてくれ、頼む(笑)
by nariyukkiy | 2012-04-03 17:52 | sunday people


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