プラチナデータってニノがささやく

そう、それがこの映画のハイライトであり、クライマックスである。(開始10分以内に終了)
このセリフを大画面で、ニノにささやいてほしい。

この映画を見たいのはそのためといってもいい。

いや、もう一つあった。先日、日本からの撤退を新聞にすっぱ抜かれた、BlackBerry(BB)の活躍。
演出とはいえ、BBがこんなに、日本で、活躍した映画があっただろうか(いや、ない)
iOSとAndroidの熾烈な市場争いの中、BlackBerryここにあり、と声小さく、しかし確実な声は僕には届いたよ。
(たぶん僕にしか届いていない)

そして、最後にでてくるポータブルPCはVaioTypeU(だったよな)という数年前に出た、近未来的なPCのあだ花。なんだこの映画、日本ではやらなかった近未来ガジェットへのレクイエムか。

そんなことを考えつつ、そうだ、トヨエツ演じる昔気質の刑事はやっぱりガラケーよね、とかまるでエヴァの世界が、エヴァ以外は日本の風景であるのと同じようななつかしい感覚を覚えているうちに、映画は何となくしまりなく終わっているのでした、という映画なのでした、いやー、面白かった?のかな。



つまり、なんだ。この発想がたぶん東野圭吾のすべてであり、あとは蛇足である。

「この愛さえも、DNAできまるのか」とかなんとか言っているけど、そんなシーンはないし、別にあってもなんでもない。もうなんつーか、「プラチナデータ」っていう発想に、なんとかかんとか風呂敷を広げて小さく小さくたたむ作業をひたすら見せないといけないのだから、そりゃアクションシーンを入れたり、思い出したように二重人格にしてみたり「犯人はヤス」的な展開を入れたりしないといけないのだろう。

いや、原作とどこが違って、どこが・・・とかも結構どうでもいい。
一応、原作者が映画あってのプラチナデータだ、と言っているらしいので。

しかし、原作にあった蛇足っぽかったのがじつは一応伏線だったんだなー、そして、省かれてもあまり破たんなく進む程度だったんだなー、とか発想は空恐ろしそうなのに、その使い道がやったらこじんまりとしていてなんかもう、原作者の発想が「かわいらしく」思えてしまう。

そう、アイディア自体はいいと思う。「国民のデータを知らないうちに収集して、利用する」うーん、こわい。「イキガミ」とか「全体国家」とか、「ディストピア」とか、なんかいろいろ想起させる。なのに、その悪用の仕方がちっちゃい。もう、本当小っちゃい。え、それが落ちなの?というくらいちっちゃい。そして、犯人捜しとかたぶんどうでもよかったんだなあ、というくらいの話。え、それでいいの?って拍子抜けにもほどがあるから、それがネタバレかどうかさえわからない。

思えば、「レイクサイド」も映画のほうがよかった。(小説は一度読んであまりのひどさにブックオフに0円で引き取られた)あれも、原作のダメそうな着地点を青山監督がバサッと省いて終わらせたことによってその発想の良さを引き立てることができていた。

この映画は、「レイクサイド」よりはきっと原作に引っ張られたんだろうな、と思う中途半端なところが散見されて、それが映画のスケールを矮小化させている気がする。もっと、大胆に解釈していいんだよ、どうせ大したオチじゃないんだからさ、という原作者の意図っぽいところをもう少し組んであげるべきだった。
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by nariyukkiy | 2013-04-01 01:07 | sunday people


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