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My Favorite shoes

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この冬、よくはいた靴。

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by nariyukkiy | 2011-02-25 01:42 | fashion | Trackback | Comments(0)

ソーシャルな社会での匿名と実名

前回の続きです。
そもそも、この二つのエントリは友人がBlogで、Facsbookの実名主義についての解釈をポストしていたので、TB風味の記事をエントリしようかと。

2011年2月7日(この記事を書き始めた日)、dommuneがデリック・メイのDJを再放送していたので思い出したのですが、彼が同じくdommuneの中で確か雑誌ele-kingの対談の中で、こんな発言をしていました。

われわれは、テクノロジーの始まりの犠牲者だ。(Beginning Victim)

5歳の娘は既にiPhoneとiPadをもっていて、14歳になるころにはそれらに倦んでいて、「ソーシャルであること」が普通になっているだろう。

そうすれば、反社会的なことは考えすらしないかもしれない。

われわれはテクノロジーの被害者である。
テクノロジーがなくなれば、人間は人間でいられる。


そう、まで、少なくとも日本のインターネットは「匿名であること」を前提に構築されてきた世界でした。
いや、インターネット以前にAMラジオの投稿、もっと戻ると俳句なんかだって、2chの「名無しさん」はもちろん、芸名というかラジオネーム、ハンドルネームがあるし、公的に認められた戸籍名以外の名前として「雅号」なんてのもある、匿名性というか世間の自分とはどこか違う「自分」の居場所が、割と重要視されたシステムが認められ、構築されてきたのが日本の社会だと思います。

その中でリアルに会うこともあれば、匿名だけでつながっていることもできる、また認められる「遊び」がある、そんな緩やかな社会の中の「別社会」が日本のインターネットの現在であり、原点であると思います。
(ここまで、前のエントリの繰り返しですね)


翻ってデリック・メイのこの発言ですが、「ソーシャルであること」つまり、社会的に自分が常にオープンであること、それが自分と、リアルでつながっている小さな社会ではなく、それこそ全世界的に「オープンになってしまうこと」がふつうである世界では、「反社会的な」と表現されていますがそれは犯罪とかイリーガルなというより、「誰かに見られない、プライベートな空間」としての「反」社会、がない、そんな世界は本当にいい世界なのか、という問いかけのように感じています。

テクノロジーが作り出した、「プライベートな空間がどこにもない」状態の現出。それがソーシャルメディアの作り出したオープンで、そして窮屈な社会なのではと。

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by nariyukkiy | 2011-02-20 19:27 | sunday people | Trackback | Comments(0)

ソーシャルな社会での「匿名性」

僕が主にソーシャルメディアとして利用しているものは、「Blog:sundaypeoplelife」「Twiter:@nariyukkiy」「mixi:(本名とHN)」がメインであり、その周りにたとえばブクログや食べログのアカウント(いづれも同じような名前)があったりします。

基本的に、twitterとBlogを閲覧している(することができる)のは見たいかどうかは別として、世界中のネットユーザーの皆様のうち、たぶんサッカー(特にFC東京)を応援していたり、ソウルセットや菊地成孔のライブやCDに興味があったり、小沢健二やスーパーカーが好きだったり、ギャルソンやBand、RUSTのアクセサリーが気になって検索してきた、そんな方々がほとんどかと思います。twitterも、Blogも基本的にそんな話題、twitterの場合はもう少し口が悪かったりDommuneなんかを見て興奮していたり、でもまあ、基本は変わってないか。


その中には実際にお会いした方もいらっしゃれば、まったくお会いしたことのない方もいらっしゃるでしょう。お会いしたことない方は画像的に「nariyukkiy」がどんな奴かっていうのは、文面やへったくそな写真から推し量るしかない、という感じかもしれません。Blogを介してお会いした方も、文章とイメージがあう、という人もいればなんかちがうなー、という人もいらっしゃるでしょう。

逆に、mixiではある程度「Kenzo Oyamada」(nariyukkiy)のマイミクの皆さんはお会いしたことない方はほんの数名。ほとんどが小学校~社会人までのどこかの時間で、お会いしたことがある方であり、(今現在のワタクシを知っているかどうかは別として)まあ、ある時期のワタクシの姿かたち、実態をご存じの方。
彼らにとって、このBlog(mixiからも当然リンクは貼ってある)やtwitter(同じHN)は、まさにネット上の別人格として映るかもしれません。

とすると、Kenzo Oyamada君はすでに僕であって、僕でない、もう一人の僕であると。
それは僕の性格や、趣味を反映したものではあるけど、たぶん、本人そのものではないわけで。

だからか、「大山田健三はちびでひねくれたいじめっ子でゲーム好き」とか、「大山田健三、ギャルソン改めB.O.O番長」、「頭狂のアホーター」とかそんな情報が流されてもBlogやTwitter上の健三君の言動からして、まあしゃあないのかもしれませんし、僕自身は、それほど損なわれない。
※ちなみにお気づきかと思いますが、この元ネタは言うまでもなく岡崎京子ですよ。
本人もネット上の彼と(本体である僕)は大体そんなもんだということくらい、自覚してますしね。

なにより実際あったことのある人に直接言われているわけではないので、たとえば「太山田」(ふとやまだ)呼ばわりされたときはふとってねーーー、と思ったけど、ま、大山田君だからしょうがないか、と思う。そんな感じ。

そう人間、匿名の陰に隠れると自覚的にも無自覚的にも、本来の自分と違う動きをするもんだな、と思うくらいです。旅行の時や、外国語を話すときのテンションが違うように。
日本のインターネットというかSNSというのも、その延長線上にあるからか、匿名、というのがとてもなじんでいるような気がします。そして、ハンドルネームというのがこうやって勝手に歩いていると。

で、だいたいのインターネットにおいて、大多数の人がその、「匿名性」の上で行動することに慣れている気がします。確かに、無責任な発言をする人間も少なからずいますが、そうではなく、「リアルの自分」とは少し違う自分を、たとえばBlogで、Twitterで、掲示板で、発揮しているのではないでしょうか。

もちろん、実際あったことのある知己にとっては、それもまた一つの側面、でしょうし、実際にあったことがない、ネット上だけの付き合いでもそれはそれで普段知りえない人とつながることができる、なんてこともあって。

実名には実名のいいところもあるのでしょうが、少なくとも、今の日本においては匿名で発言をする、オルターエゴとして生活する、動くことができる空間として、インターネットは成り立っているような気がします。

(次のエントリに続く、はず)
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by nariyukkiy | 2011-02-17 01:03 | sunday people | Trackback | Comments(0)

そういえば・・・

PASCAL DONQUINOの開始と、それに伴うTHEATER PRODUCTSのメンズ・レーベル、KINGLY THEATER PRODUCTSの休止は結構痛手でした。(いつの話だってのというくらい、古いですが)

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by nariyukkiy | 2011-02-07 00:13 | fashion | Trackback | Comments(2)

Favorite10/11AW

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春夏が、始まっていますが、その前に秋冬の洋服、よく着ているもの。
この秋冬は結構買いましたからね・・・。

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by nariyukkiy | 2011-02-06 23:46 | fashion | Trackback | Comments(0)