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小沢健二 魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ @ZeppNamba 2016/06/06

2012年の東京の街を奏でる以来の大規模なツアーは、バンド編成、新曲を携えてという事でのもの。

久々に沈黙を破ったひふみよツアーのドラマチックさや、朗読と曲で細切れになった実験的な(・・・最大限のフォローですよ)東京の街を奏でるとはまた違った構成だったけれど、結果としては色々とあったミッシングリンクを埋めることができたのでは、という内容だったと思う。

1曲目は昨日と今日。
バンド編成だからか、 BPM早め、グルービーにスタート。
いきなりデビューアルバムの1曲目というリスタート感と、モータウンかカートムか、といわんばかりのニューソウルなアレンジでスタートした。
このソウルセッションか、というアレンジは新曲も、過去も曲もうまく今のオザワケンジのモード、を印象づけいた。

そして、気になる新曲は、2曲目から。もともと新曲を携えてのツアーです、とアナウンスしていたわけだけど、前のツアーと違ってスクリーンに歌詞を映し出す演出。
リアルタイムでないこともあったけれどきちんと歌詞と曲をインプットしたい、という演出で、だいぶ親切設計。

2,3曲目に披露した曲は、歌詞は言うなればいちごが染まる系の復活後の系統なのかな。
童話のような、幼きものに話しかけるような、アメリカの絵本のような歌詞とソウルマナーの曲。この子どもたちに話しかけるような、小説を紡ぐかのような歌詞はうさぎ!の世界観をもちながらよりリアルな世界と、ファンタジーの世界とをつないでいる。まさにリアルと虚構をつなぐ秀逸なできで、「朗読」スタイルで同じこと言われたらさめさそうなことも表現を変えて歌にするだけでこんなにも違うのにな、というのが正直な感想だったり。

そのあとのホテルと嵐~大人になれば。
新曲である「涙は透明な血なのか」、をはさんでの一つの魔法。
このセットリストの流れでふと、ツアータイトルにもあった魔法が、以前の曲にも散りばめられていたことに改めて気がついた。
「いま」の小沢健二のモードが、長い沈黙の時間の前とつながっていく感覚を、ひふみよ、や「ヒット曲をたくさんやります」といっていた「東京の街を奏でる」よりもより強く感じられ、「懐かしの曲を、みんなで歌おう」という掛け声にも、どこか素直に乗れる感じだった。

そして、それはちょっと、ドアノックに続いて披露された「流動体について」、というタイトルの新曲。
これがなかなか衝撃的というか、インパクトがあった。

加速するグルーヴを伴っての演奏だったけれど、ふくろうやさめが出てきた今までの新曲とは打って変わって、「東京」が舞台。
ドアノックからの流れが、よりその歌詞を際立たせていた気がする。
「流動体について」のスクリーンに映し出された歌詞は、羽田空港に降り立った主人公の、「平行世界」での人生に思いをはせている。

そう、このツアータイトルをきいたときにまず浮かんだ「ある光」(前のツアーで唯一、この曲をライブで聴けたのだけが印象に残っている)で、JFKを追い、NYCへと旅立った小沢健二が、「東京」に、日本にいたら。
そう言えばひふみよツアーで披露した「時間軸をまげて」と、自分の思想だけからではないない物語を歌うとき、小沢健二は少しだけ時間や視点を曲げる。(それは天使たちのシーンだってそうだ)ボーイズライフの2曲も、そのあとにやった超越者たちも「時間」や「場所」が歌詞に登場し、また詩世界の中で重要な位置を占める。

物語を紡ぐ目線が、昔も今も小沢健二だからこそ、の感覚。


アンコールも含め、7曲の新曲。

そしてライブが終わって何日かたつけれど、ふとしたとき、確かに新曲の断片が頭をよぎる。
心に残っている。

これは、今回のソウルバンドアレンジや歌詞の見せ方を含めた楽曲に集中させる演出の果たす役割も大きいが、何よりも新しい楽曲の強度によるところが大きいと思う。
もうライブでしか新曲を披露しないかも、とか音源出さないかなとかいろいろ思うけれど、今は音の余韻に浸りながら、ポップスターの帰還を喜ぼう。

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by nariyukkiy | 2016-06-09 22:00 | music | Trackback | Comments(2)

期待通り、不安的中、期待外れ(小沢健二、2012)(2/3)

※小沢健二の作品、『我ら、時』のリリースとそれに合わせて「東京の街が奏でる」と題した12日間のライブコンサート、そして、パルコミュージアムでの展示会(旅の写真と、音楽)・ポップアップショップが開かれた。

当ブログをご存知の方は周知の事実ではあるが、僕は「小沢健二」とその一連の作品の強い影響下に思春期を過ごし、またはその考えをこじらせ、そしていろいろなものを見る「入口」としての彼の影響を隠すことはできない。

このポストの続き、および一連のポストについては「小沢健二に会えるだけで幸せ/声を聴くだけで満足」という向きの方にはUZEEEとしか言いようのない内容になることが想定される。

とりあえず、このポストはまだ僕は喜んでいる。彼の帰還を。

不安的中編はコチラ

(いまのところ)「期待通り」編
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by nariyukkiy | 2012-04-02 01:13 | sunday people | Trackback | Comments(0)

期待通り、不安的中、期待外れ(小沢健二、2012)(1/3)

※小沢健二の作品、『我ら、時』のリリースとそれに合わせて「東京の街が奏でる」と題した12日間のライブコンサート、そして、パルコミュージアムでの展示会(旅の写真と、音楽)・ポップアップショップが開かれた。

当ブログをご存知の方は周知の事実ではあるが、僕は「小沢健二」とその一連の作品の強い影響下に思春期を過ごし、またはその考えをこじらせ、そしていろいろなものを見る「入口」としての彼の影響を隠すことはできない。

だけど、そうやって彼からいろいろと影響を受けたからこそ、今の彼が「あの頃と同じ」空気に賞賛されていること、懐古的な空気で迎えられていることには違和感を覚える。

今回の3作品。
特に「期待外れ」についてはまだ継続中である、そのコンサートについてになる。

だから、このポストの続き、および一連のポストについては「小沢健二に会えるだけで幸せ/声を聴くだけで満足」という向きの方にはUZEEEとしか言いようのない内容になることが想定される。
楽しみにしている人と、満足している人はこのあたりで「あれまあ」とでもいって、そっとページを閉じるかサッカーの結果を見に行ってほしい。
これは僕の考えに過ぎない。「ああ、惜しい。」という。

「不安的中編」
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by nariyukkiy | 2012-04-01 23:43 | sunday people | Trackback | Comments(5)

Winter day

10数年前、このいちょう並木の横で過ごしていたんだなあ。
今は忘れてしまった、たくさんの思いが、少しだけよみがえる。

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弾けるココロのブルース、少しだけ考えてる。
”いちょう並木のセレナーデ”より。
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by nariyukkiy | 2010-12-08 00:04 | sunday people | Trackback | Comments(0)

小沢健二 ひふみよ その2

全てのライトを落とした状態でスタートした「流れ星ビバップ」。それまでざわついていた-期待とか、不安とか、ホールの観客全ての感情がないまぜになっていた-空気が、一気に爆発した。歓声と、拍手の中、小沢健二は変わらぬ声で、歌を歌い、音を奏でる。熱狂の中、コンサートはスタートした。



1番が終わると、いったん音楽がやむ。ライトが小沢健二の顔を映し、彼は2003年のニューヨークで起こった大停電のエピソードを語りだした。
暗闇の中で、市民が自立的に、街を維持する話。やがて暗闇の中音楽が鳴り響き、パーティーが起こった奇跡。

改めて電気が消えて続きが演奏される。さっきまでの、爆発的な興奮は少し引いていて、暗闇の中で、人々は音楽でつながっていること。MCで彼が語った光景が、今ここに再現されている。


暗闇の中で、「僕らが旅に出る理由」の演奏に続く。心変わりは何かのせい、あまり乗り気じゃなかったのに。恋人の一人旅を見送る彼の気持ちと、彼の長い旅を見守ってきた観客たちの気持ちはどれだけ一緒だったのだろうか、さびに入るかはいらないかで、ステージライトが一斉についた。大歓声。変わらない演奏、そしてそのたたずまい。一瞬で、その前に語っていた、「音楽で、今までと違う世界を体験する」ということ、「その経験は、きっと忘れない。記憶の底に引っかかる」であろうステージが、本格的に目の前に現れたことを感じた。彼が、少しあとに演奏した新曲のタイトルを借りるなら時間軸は明らかに曲げられ、何年もの時が、一気に重なった瞬間。

この先も、ライブは続いていくが、たぶん、この瞬間の空気というのは、そのとき、その会場にいなければわからないと思う。
その空気に僕は一瞬戸惑い、その中で奏でられた「オト」の強度に驚いた。
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by nariyukkiy | 2010-07-07 01:20 | oza | Trackback | Comments(0)

ひふみよの断章 1

小沢建二2010ひふみよの断章。

先週末にコンサートを見て感じたことを、断片的に書いていきます。
レポート的なものは書いたのですが、今のせるのは野暮でしょうしね。


コンサートを体験して、一番思うのは、もう二度と見たくない、見たところでこのとき感じた感情を越えることはできないということ。

小沢建二のコンサートを見たくない、という意味ではなく、一連のひふみよツアーにおいて、二回見たら感じられないであろういろいろな感情を、初見だったからこそ感じることができたのだなと。

まだツアーも残っているので、今はそれしか言わないけれど、そのくらい、このコンサートの中で感じる、彼の音楽や会場の空気は特別で、他に変えがたいものだとおもう。
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by nariyukkiy | 2010-06-16 22:23 | oza | Trackback | Comments(0)

小沢健二 ひふみよ

仕事よりもFC東京は躊躇なく選べますが、小沢健二と、FC東京ならば残念ながら小沢健二をとります。

しかも、13年ぶりのライブですから。

詳しく書いていたら、現在3,000文字を突破したので、とりあえず一言だけ。

長い旅から、ようやく「オザケン」としての今の表現で帰ってきた。

そのことに、おめでとう。
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by nariyukkiy | 2010-06-07 22:39 | oza | Trackback | Comments(0)

開幕、早く来い。

皆さんのTMや小平レポートを読んでいたら、だいぶ「おらなんかワクワクしてきたぞ」孫悟空状態ですね。あと1月弱、早く来ないかな、開幕戦。早く来ないかなシーズンチケット。

で、トーチュウの記者ブログは、すっかり「ラブリー」オザケン祭り。

なんつーか、世代が被っているのかナンなのかしらないけれど、すっかりオザケン回顧(少し前のエントリー読んだら凹むと思うぞ・・・)

なかなかうまいこといえないけれど、痛快ウキウキ通りの歌詞でも引用して、早く来ないかなー、開幕な気分を代弁してもらいましょう。

(勝利の)喜びを他の誰かと分かり合う、それだけがこの世の中を熱くする!


と、さすがフットボール好きな小沢さんだけある。なかなかサポーター魂を熱くする歌詞が多いようで・・・・。

というか単純に恋愛とサッカーは似ているのか?

ともかく、ラブリー東京本格開始まであと少し。怪我なく、つつがなく開幕が迎えられますように。
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by nariyukkiy | 2008-02-12 07:43 | Footballiloveit | Trackback | Comments(2)

映画「おばさんたちが案内する未来の世界」を見る集い

「思い出したことを、いってください」といっていたので。
映画「おばさんたちが案内する未来の世界」を見た、そのときのことを覚書として。
(あとでメールでも送るかも)

<映画について>詳細(ネタバレあり)
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by nariyukkiy | 2007-12-11 02:33 | oza | Trackback(1) | Comments(0)