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Peace 平和と日常、ネコの日常と、その縁で生きる。

選挙、精神に続く観察映画。番外編、というのはもともと"Peace"というお題を与えられての映画だからか。
(どうやらもともと構想していたわけではないためらしい。)

奥さんのご実家でやっているNPO法人の福祉有償輸送と、庭に集う飼い猫たち、餌を狙う泥棒ネコの日常。
特にドラマがあるわけではなく、ただ、そこにある日常を切り取る。
選挙こそ、テーマがテーマだけにまだ起承転結があったが、日常だけに起承転結はない。

もっとも、あるわけがない。

世界はドラマチックな瞬間よりも、日常に埋もれている時間の方が長い。誰しも主人公になれる瞬間があるが、その何倍も下積みの時間の方が長い。
日々のガソリン代や経費のやりくりに悩み、それでもお金ではない、なにかに価値を見出だし、仕事を続ける夫婦の毎日には、わかりやすいクライマックスもないが、静かな関わりの変化が、この映画を前に進めていく。

末期がんの患者をホスピスにつれていく道すがら、また彼の自宅で食事の補助をするとき、その帰り道、不意にアクシデントは起きる。

そして、その観察するなかでの偶然に他ならないアクシデントこそがこの映画を"ただ撮ったままを流してるだけの映像"を映画にしている要素なのだ。いや、別に後付けの編集でそれらを加えたっていっても十分信じるし、むしろそのくらいそれらのアクシデントは素晴らしい。

映画は、猫たちの平和が泥棒ネコによってかきみだされ、泥棒ネコを仲間として認めるところで、エンドマークとなる。
当然、ネコたちの生活も、夫婦の毎日も、彼らが関わっている障害者の生活も(死が訪れた場合は例外として)映画が終わっても終わるわけではない。

彼らが抱えていた問題や、偏見が止んだわけでもない。

その、「余韻」は今までの観察映画の中でも前作『精神』とこの『Peace』が際立っている。
『選挙』は、「当選」という一つのゴールがあり(実際はそれがスタートであることは一目瞭然ではあるが)ストーリーとしてはまとまっていたが、『精神』の患者の陰影が濃く出た『精神』そして、ネコ社会の安定という「暫定的平和」で終わる『Peace』のエンディングは事実をただ、事実として突きつけている、何も解決していないという点で非常に秀逸だと思う。

この映画にストーリーや、ましてやハッピーエンドをもとめるのは全く無意味である。

ドキュメンタリーというにはあまりに生の素材を、ほとんど味付けなしに調理も最低限。素材の持つ力、そこから何をくみ取るか、それは映画を見た観客にゆだねられているといってもいい。

「ネコかわいい」でもいいだろうし、「福祉のやりきれなさ」もある。

それでも生きていくということ、そして、「死」を迎えるということ。
その日常と日常の縁が自分の日常を照らす。
そんな映画だった。
by nariyukkiy | 2011-08-21 00:12 | sunday people


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