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My Generation

僕らの世代が何を生み出したのか。

mixi上でそんな話があったので、考えるところをとりとめもなく書いてみよう。
セーシュンという意味では1990年代半ば。

自分的にはoasisがアイドルだったな。
渋谷系を持ち出すまでもなく、oasisにしても90年代は「なにもない」ではない。
「何でもありすぎる」時代だったのだと思う。だから、そこから何を選び出すのか、ある人はHiphop、、そしてフリーソウルへと先祖がえりをしただろうし、RockもoasisのようにBeatlesへの無償の愛をストレートに表現することで、ローゼズの甘美さを加えることでひとつの時代を作り出した。僕を夢中にさせたのはまずこのブリットポップだった。

自分たちの世代が作り出した「音楽」という意味では、解散が秒読みになったSUPERCARがその旗手じゃあないだろうか、やはり。僕はそう思っている。そして、同世代のバンドが鳴らしたrockの主題は「退屈」だったと思う。
確かに「スリーアウトチェンジ」はみずみずしいギターロックをベースとしていたが、後ろでなっていたフィードバックノイズは、どこか諦念を含んでいたように聞こえた。そしてそれは「JUMP UP」では前面に押し出され、「手抜きなんて当たり前」「青になって誰かと一緒に歩くほうが心地いい」という一見ネガティブな歌詞から、僕は逆説的な「どーでもよさ」にロックを感じた。そう思っていながら、クオリティの高い音楽を生み出していくこと自体がすでにロックだった。
そしてその後ジャンルレスにトランスやテクノに接近していく彼らの姿は、まさに有り余る情報をどう処理していいのか、迷っている姿だったのではないか。

僕らの世代は、この過多な情報の中にあらかじめ放り込まれたのではない。
それはもうひとつ下の世代だろう。下品なまでに与えられた情報をサンプリングすることができた「青春パンク」やオレン◎レンジがうすっぺらいが売れるのはあらかじめ与えられた情報を、うまく、そして馬鹿正直にストレートに加工するのに長けているからだ。
加工するには「センス」という武器-というか「照れ」だったのかもしれない-が必要だった僕たち以上の世代とは、そこが違うと思う。
シンプルだと思っていた世界が、気がついてみたらさまざまな情報に囲まれていることに、立ち向かうには武器があまりにもなかった、先駆者世代。
迷いつつも手に入れた何かを、はじめから持っている世代に突き上げられる世代。

いまの僕らの世代は、そんなところじゃないか。
SUPERCARは解散する。次の一手を、どうしようか。まだまだ。
by nariyukkiy | 2005-02-22 02:21 | music


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