オリジナルが出てから、2年たって「我ら、時」の通常盤が出るって

はてさて。

「我ら、時」のBOXが出たのが2012年3月。
「東京の街を奏で」損なってから2年か・・・。

このブログのアクセスの大半を、この2つのエントリがいまだ占めていることから、なかなか皆さん情報に飢えてるの?というかオフィシャルがいろいろ書いてるじゃん?と思うわけだけど、特にコンサートの肩すかしからか時折「我ら、時」を聴くくらいであまりチェックしていない僕である。

それでも、「笑っていいとも」が終わる直前に小沢健二を招待し、タモリに「さよならなんて云えないよ」を含むメドレーを披露する、というエポックメイキングな話題はそれなりに上がったし、この通常盤、どうやらそれなりに売れていることから弾みがついて次のアクションがあれば、くらいには期待している。


しかし、よく考えてみればコンサート(我ら、時)で体感したのが4年前、BOXで追体験したのも、2年も前の話だ。いい加減次のアクション、ほしいよね。



我ら、時 通常版




とはいえ、通常盤「我ら、時」で初めて接する人もそれなりにいなくはないだろうし、中でもコンサートに行けなくて、BOX買うのをためらっていた(今でもコンサートに行きたいと思うほどのファンであれば、買わない理由はないんだけど)人もいるだろう。そんな稀有な人にとってはこういうサービスも必要なのかしら。

それにしても、このアイテム、「はじめて小沢健二ききます」という人には当然のことながら全く向いてない。
そもそも、彼の「うた」は素晴らしくとも「うたごえ」が安定している歌手か、というとそんなことはない、と正直に思うので、やはりスタジオ録音盤の「LIFE」と「犬」、ついでに「球体」と「刹那」を聴いてからのほうがいいと思う。

もちろん、このアルバムはこのアルバムで素晴らしい。
彼の、2010年にコンサートをやろうと、やるからには今までの試行錯誤をきっちりと自分のフォーマットに落とそうとした「我ら、時」というツアーの強度は楽曲の再現以上に挟み込まれる朗読によって支えられていることがよくわかる。(東京の街~というコンサートも同じフォーマットにしようとしたが、失敗している顛末は前述のとおりだが)やはり彼は思想家であるまえに詩人なんだなあ、ということ。

そして、決して好きなアレンジではないが、天使たちのシーンなんかのアレンジも、アレンジしてみたらもうそのメロディラインしかないように思える。このアレンジでは原曲の歌詞は当たらないんだなあ、という至極当然のことを再認識する。(いや、ラジオから流れるのはやっぱり「スティーリーダン」で「遠い街の/物語」を奏でる方がしっくりくるけど、このアレンジだと「銀杏並木」とこの街のことしか思い出せない)

聴きなおしてみてけっこう白眉だったのは「強い気持ち、強い愛」だろうか。
もともとテンションの高いこの曲だけど、アレンジというか前奏からのテンションが振り切れている。戦場のボーイズライフからの流れだけどなんとも自然で。

もちろん、僕はこのアルバムをコンサートの追体験として聴くことができる。それは懐かしいメロディにひたった時間というよりは、「今の小沢健二、と僕(たち」とが、リンクした奇跡だったと思う。

人によっては懐かしさを思い出す人もいるだろう。だけど、あのときは帰ってこない。そのうえで僕はどう生きていくのか、小沢健二の歌詞は後ろを振り返ってはもう戻らないことをかみしめて、前に進むことを描いている。それを、もう一度思い出して、僕は今の気分で改めて彼の詩をきけることを素直に喜ぼう。
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by nariyukkiy | 2014-04-08 09:09 | oza


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